100万回生きたねこ
子ども達と一緒に感じたい「誰かを愛する事の素晴らしさ」3歳頃からの読み聞かせにピッタリ!
☆際立った特徴
- 1977年発行。220万部売れた絵本。
- 約半世紀、長い間子ども達に愛され続けている。
- 「死」と「愛」について、考えさせられる内容。
- 子どもだけではなく大人にもオススメ!読むタイミングによって心に染みる。
- 主人公のネコは100万回死んで100万回生きたネコ。
- 100万人の飼い主がいて、みんなネコが死ぬと泣いたけど、ネコは「飼い主が嫌い」だった。
- 100万回目に初めてネコはノラネコとなり、初めて自分が自分だけの物になった。
- 素敵な白猫に出会い。初めて自分から誰かを愛する。
- 年老いた二匹。ずっと側にいた白猫が先立ち、初めて愛する人の死を経験する。
- 「大切な物を失った悲しみ」「ずっと側にいたいと心から願う気持ち」が伝わる。
- 愛することを知ったネコは、二度と生き返らなかった。その意味とは。
☆読み聞かせのポイント
- 「誰かの飼い猫だった時は、飼い主が大嫌いだった。しかし、ネコが死んだ時飼い主は泣いてくれた。ネコは死ぬのなんて平気だった。」どういう事でしょう?
- 初めて自分から、ずっと側にいたいと思える白ネコを見つけ、一生を共にし、白ネコが先立った時、ずっと泣き続けたネコ。今までの飼い主のように。今までの反対の感情。ネコは今までと何が違うのでしょう。お子さんと一緒に考えてみませんか?
- ラストに「ネコは、もう決して生き返りませんでした。」と書かれています。作者のこの本に込めた想いが、強く温かく込められた言葉だと思いました。どうして生き返らなかった?
★婦人公論インタビュー「没後10年『100万回生きたねこ』佐野洋子を息子が語る「最後までわがままで、意地っ張りだった母
☆あらすじ
100万年も死なないネコがいました。
100万回も死んで100万回も生きたのです。生まれ変わるごとに100万人の飼い主が、ネコをかわいがり、ネコが死ぬと泣きました。
しかし、ねこは悲しくありませんでした。死ぬのなんて全く平気だったのです。
ある時は王様のネコで、ある時は船乗りのネコでした。
サーカスの手品使いのネコだったこともあるし、どろぼうのネコの時もありました。
年老いたおばあちゃんのネコの時には一日中おばあちゃんの膝の上で眠って過ごす時もあれば、小さな女の子のネコだった事もありました。
ネコは、王様も船乗りも、サーカスのおじさんも泥棒の男もおばあさんも女の子も・・・大きらいでした。
しかし、みんなはネコが死んだ時、ネコを抱いて大きな声で泣きました。そして、ネコを自分の大切な場所に埋めてあげました。
ある時、ネコは誰のネコでもないノラネコでした。
ネコは初めて誰のネコでもなく、自分のネコになりました。立派なトラネコで、沢山のメス猫から求愛されていました。しかし、ネコは100万回も死んで生き返ったのです。
もう誰の物にもなるつもりはありませんでした。
ネコは誰よりも自分が大好きだったのです。
たった1匹、ネコに見向きもしない美しい白猫がいました。
ネコは次第に白ネコに惹かれていきました。そして
「そばにいても いいかなぁ?」と聞き、白猫も『ええ。』と答えました。
白猫はやがて可愛い子猫を沢山産みました。今まで自分が1番好きだったネコでしたが、その頃になると白ネコと子ネコが自分より好きでした。
そして何年か経ち、子猫たちも立派に育ちどこかへ行きました。
ネコと白ネコは二人きりになり、穏やかに優しく寄り添いながら過ごしました。
ネコはいつまでもこのまま白ネコといつまでも生きていたいと思っていました。
そんなある日、白ネコはネコの隣で静かに動かなくなりました。死んでしまったのです。
ネコは初めて泣きました。朝になっても夜になってもずっと泣き続けました。
そしていつかのお昼、ネコは泣き止み、100万回泣いて…白ネコの横で静かに動かなくなったのです。
ネコは、もう決して生き返りませんでした。
☆書店員の感想
「誰かの飼い猫だった時は、飼い主が大嫌いだった。しかし、ネコが死んだ時飼い主は泣いてくれた。ネコは死ぬのなんて平気だった。」どういう事でしょう?
100万回生きたネコ。それはいつも誰かの飼い猫で、読者から見れば、いつだって飼い主の側で、とても愛されていたように思えますが、本人はどうやら違ったようです。いつだってその飼い主を「大嫌い」と思っていました。もしかしたら”自由ではなかった”という事への不満がいつもあったのかもしれませんね。
王様のネコなら戦地に行っても、いつでも王様の側にいなくてはなりません。泥棒のネコの時は、飼い主が仕事をする夜に出かけて、泥棒の手伝いをしなくてはなりません。
ネコといえば自由にのんびり好き勝手にというイメージがありますが、誰かの飼い猫の場合、ネコはネコなりに気を使って過ごしていたという事でしょう。不思議なのは、自分が死んだ時飼い主がワンワンと泣いて悲しんでいる事を他人事のように感じていたという事。
ネコは100万回死んでは生き返っているので、死ぬことが何も怖くなくて、全く平気だったのです。「どうせまた生き返るのだから・・・」といった具合に思っていたのかもしれませんね。
そして、ここで肝となるのは、ネコは飼い主が大嫌いだったという事ではないかと思いました。
初めて自分から、ずっと側にいたいと思える白ネコを見つけ、一生を共にし、白ネコが先立った時、ずっと泣き続けたネコ。今までの飼い主のように。今までの反対の感情。ネコは今までと何が違うのでしょう。お子さんと一緒に考えてみませんか?
初めて誰の飼い猫でもないノラネコとなったネコは、自由を手に入れました。今まで飼い主に合わせて生きていたネコにとって、初めて自分自身の事だけを考えていればよくて、自分を知ったのかもしれません。そして、
そんなネコがある日、「ずっと側で寄り添っていたい」と思える素敵なメスの白ネコと出会いました。ネコにとってそれはまさに運命のネコ。ずっと一緒に居たいと心から思っていました。
しかし死ぬタイミングはそれぞれ。先に旅立った白ネコを抱きながらネコは初めて泣きました。死は誰にでも訪れるものだけど、残されたネコの悲しみは想像も出来ない程悲しい物だったのでしょうね。
ここで初めて、今までの飼い主たちと同じ気持ちになったんですね。『誰かを愛する』事とはどういうことか、じんわり読者に伝えているシーンです。
100万人の飼い主達は、泣いた後それぞれどこかにネコを埋めてあげるのですが、そこには、飼い主たちのネコへの愛が込められていると思いました。
本書ではネコが死んだあと飼い主が沢山泣いて、必ずどこかにネコを埋めてあげています。なぜここまでストーリーを書いているんだろう?と不思議だったんです。
でもここにもおそらくネコが最後、白ネコと同じ場所で死んでいったことに深く関係しているのではないかと思うのです。
飼い主たちは必ず、自分の大切な場所にネコを埋めてあげています。きっと死んだ後に手を合わせてあげられる場所。そしていつまでもネコを思い出してあげられる場所に埋めてあげたのだと思います。
「いつまでも側にいたい」と100万人の飼い主たちは思っていたのです。
そして、100万回目に生き返ったネコは運命の相手である白ネコに対して「ずっと側にいたい」と願っていました。そんな白ネコと同じ場所で死ぬことが出来ました。きっとこの後そのままこの場で土に返ったのでしょうね。
ネコは同じ場所で死んだことで天国でずっと白ネコと一緒にいられます。【永遠の幸せと愛】を手に入れたという事なのかもしれません。
●私の深堀ポイント
死んでしまった白ネコを抱いて、ネコは何日も何日も泣いたのですが、ここで「100万回も泣きました」と書かれている所が私はひっかかりました。
なぜここでまた「100万回」というキーワードを再び出してきたのか。わたしは、きっと今までの100万人の飼い主たちがなぜ自分が死んだ時に泣いたのか、初めて気持ちが分かったからだと思いました。
100万人の飼い主を思い出し、「そうだったのか。こんな気持ちで泣いてくれたのか。」と飼い主の気持ちに対して100万回泣き、そして白ネコを思って泣いたのです。100万1回目にしてようやく愛を知り、悲しみを知り、今まで出会ってくれた100万人と白ネコに対して感謝したのではないでしょうか。
ラストシーンの、「ネコは決して生きかえりませんでした」という言葉…なんだか読者は切なく悲しい気持ちになりますね。でも・・・もう十分、ネコは生きました。
ラストに白とピンクが混ざったような花が、草原の中に一凛描かれています。わりと背が高い花ですが、おそらく名前も無いような雑草かもしれません。これは一体何を意味すると思いますか?
土にかえった二匹が、”花”という命として生まれ変わった・・・という風にも見てとれますね。もし二匹が、花として、1つの命として生きかえれたとしたなら、これほど美しいエンディングはありません。
- 作品名:100万回生きたねこ
- 著者名:佐野洋子
- 著者名:講談社